「伊勢大明神」の解剖学：横浜DeNAベイスターズ・伊勢大夢の軌跡と未来

はじめに：「伊勢大明神」の誕生

横浜DeNAベイスターズの投手、伊勢大夢選手を語る上で、単なる一人の投手としてではなく、「伊勢大明神」という愛称から話を始めるのが最もふさわしいかもしれません。この名は、チームが絶体絶命のピンチに陥った場面で何度も救援に成功し、勝利をもたらしてきた彼のクラッチパフォーマンスに由来しています。このニックネームは、彼のリリーフ投手としてのキャリアの頂点と、ファンやチームが寄せる絶大な期待を象徴する物語の基点となっているのです。

伊勢選手のキャリアは、勇気ある進化の連続によって定義されます。大学時代、世代を代表する才能の影に隠れた存在から、プロの世界でリーグを代表するリリーフ投手へと飛躍し、そして今、先発投手という大胆な挑戦に踏み出しました。彼の歩みは、絶え間ない自己改善への渇望と、逆境に屈しない強靭な精神力によって刻まれています。

本稿では、伊勢大夢という投手の全貌を解き明かしていきます。アマチュア時代のルーツを辿り、彼の投球術と哲学を分解し、プロとしての栄光と挫折を記録します。そして、彼のキャリアの次章を決定づける「先発転向」という重大な決断を分析することで、その進化の軌跡を明らかにしていければと思います。

原点の形成：競争心が育んだ反骨の精神

九州学院時代：スーパースターの影で磨かれたエースの才覚

伊勢選手の物語は、熊本の名門・九州学院高校で始まります。彼は早くからエースとして頭角を現し、チームを牽引する存在でした。最終学年には春夏連続で甲子園の土を踏み、全国の舞台でその実力を示しています。

この時代の物語に深みを与えるのが、当時1年生ながらチームの4番打者を務めていた村上宗隆選手（現・東京ヤクルトスワローズ）の存在です。確立されたエースであった伊勢選手が、既に非凡な才能を持つ後輩とスポットライトを分け合っていたという事実は、彼のキャリアを通じて繰り返されるテーマの序章だったのかもしれません。また、高校時代に掲げた「友喜力（ゆうきりょく）」という座右の銘は、自らの活躍で仲間を喜ばせる力という意味を持ち、早くからチームを思う考え方が根付いていたことを示しています。

明治大学での試練：ライバル、怪我、そして哲学の誕生

東京六大学の強豪・明治大学へ進学した伊勢選手は、同期に世代No.1投手と評された森下暢仁投手（現・広島東洋カープ）という大きな存在と出会います。入学当初は肩を並べていましたが、2年時に伊勢選手が怪我で戦線を離脱。その間に森下投手は世代を代表するエースへと駆け上がり、大学日本代表にも選出されました。グラウンドの外からライバルの活躍を見つめる日々は、伊勢選手にとって「めちゃくちゃ差が開いたのはすごく悔しかった」と語るほどの大きな挫折であり、後悔の念を抱える時期となったのです。

しかし、この逆境こそが彼の投手としての哲学を形成する重要な転機となりました。森下投手の才能を前に、伊勢選手は力で「上回る」のではなく、マウンドでの姿勢で「異なる」道を選びます。彼は「強気のピッチング、相手に向かっていく姿勢は暢仁よりも絶対にある。喧嘩腰はいいすぎですけど、そんな感じで相手打者に向かっている」と語り、闘争心をむき出しにするスタイルを意識的に磨き上げました。このライバル心から生まれたメンタリティは、後にDeNAのスカウトからも「打者に向かっていく姿勢が素晴らしい」と高く評価されることになります。

この経験は、彼のキャリアにおける重要な教訓となりました。単に才能で競うのではなく、自らの強みを理解し、それを最大限に活かす戦略を立てること。伊勢選手の反骨心と知性は、この大学時代の苦悩の中で育まれたのです。挫折を乗り越えた伊勢選手は、3年、4年時には明治のエースナンバー「11」を背負い、チームを全日本大学選手権優勝に導きました。さらに侍ジャパン大学代表にも選出され、世界大学野球選手権で優勝を経験。大舞台での投球を通じて、プロで戦うための貴重な糧を得たのです。

2019年ドラフト：潜在能力を秘めた「3位指名」

2019年のドラフト会議で、伊勢選手は横浜DeNAベイスターズから3位で指名されました。大学時代の複雑なキャリアを反映し、彼に対するスカウトの評価は分かれていました。一部のアナリストからは、好不調の波を懸念し「育成すらありえる」という厳しい声も上がっていたようです。しかし、DeNAのスカウト陣は彼の将来性、特にリリーフとしての適性を見抜いていました。中には、守護神・山﨑康晃投手の後継者となり得る存在として期待する声もあったといいます。球団は彼をリリーフ投手として評価し、左打者対策としてのアウトコースに逃げる変化球の習得を課題として挙げており、その後の彼の成長を見事に予見していました。

投球術の解体：メカニクス、メンタリティ、そして剛速球

伝家の宝刀「剛速球」：球速以上の威力

伊勢選手の投球の根幹をなすのは、最速151km/hを超えるストレートです。しかし、その真価は球速だけでは測れません。サイド気味のスリークォーターから放たれる角度のあるボールは、彼特有のシュート回転を伴い、打者の手元で浮き上がるように見えるのが特徴です。この威力ある剛速球こそ、彼の最大の武器と言えるでしょう。

彼の投球哲学は、このストレートへの絶対的な自信に基づいています。かつて阪神タイガースで活躍した藤川球児氏のように、打者がストレートと分かっていても打てないボールを理想とし、「真っすぐがなくなったら、僕はただの投手になってしまう」と語るほど、その存在を自らのアイデンティティと重ね合わせているのです。この信念は、彼のマウンド上での強気な姿勢の源泉となっています。

彼の投球フォームの完成には、小谷正勝コーチングアドバイザーからの助言が大きく影響しました。腕だけで投げるのではなく、体の軸と回転を意識することで、よりスムーズで力強い投球が可能となり、課題であった制球力も向上したのです。

計算された進化：脇を固める変化球

キャリア初期の伊勢選手は、ストレートを軸にスライダーやカットボールを織り交ぜるスタイルでした。しかし、プロの世界で生き抜くために、彼は自身の武器を冷静に分析し、進化させます。特に左打者への対応を課題とし、チェンジアップの習得に着手しました。重要なのは、新たな球種を磨きつつも、生命線であるストレートの威力を損なわないよう細心の注意を払った点です。これは、彼のクレバーな一面を示すエピソードと言えるでしょう。現在では、これらの球種にフォークボールも加わり、投球に縦の変化という新たな軸をもたらしています。

マウンド上の哲学：攻撃性と知性

三浦大輔監督が掲げる「ゾーンで勝負していく」という方針は、伊勢選手の投球哲学と完全に合致しています。彼はストライクゾーンで打者をねじ伏せることにこだわり、そのアグレッシブな姿勢は、ストレートへの絶対的な自信から生まれているのです。

しかし、彼の投球は単なる力任せではありません。ルーキー時代は「がむしゃらにやって、なんとなく抑えられていた」と振り返りますが、経験を積む中で、なぜ抑えられたのかという「根拠」を求めるようになりました。コーチや捕手との対話を通じて、より緻密な投球術を身につけ、力と知性を兼ね備えた投手へと成長を遂げました。大学時代から評価されていたマウンド度胸に加え、プロで培った思考力が、彼をリーグ屈指のリリーバーへと押し上げたのです。

開花の時：セットアッパーとしての絶対的地位

2022年、歴史的シーズン：球団記録の樹立

2022年シーズン、伊勢大夢選手は球史に残る圧巻のパフォーマンスを披露しました。NPBの全投手で最多となる71試合に登板し、ブルペンの「鉄人」として君臨。防御率1.72という驚異的な安定感を見せ、球団新記録となる39ホールドをマークしました。この活躍は、チームが2位に躍進する上で不可欠な要素であり、彼自身も初のオールスターゲーム選出という栄誉を手にしています。

ブルペンの生態系：山﨑康晃との関係性と支え合う文化

この年のDeNAの勝利の方程式は、8回の伊勢選手、9回の山﨑康晃投手という継投によって成り立っていました。伊勢選手にとって、守護神・山﨑投手は目標であり、超えるべき壁でもありました。山﨑投手が長期契約を結んだ際には、「目指してきたヤスさんがまだいてくださる。まだ学ばせていただける」と喜びを語る一方で、「実力で奪うくらい自分が頑張らないと」と、その座を実力で奪取することへの強い意欲を示しました。

この健全な競争関係を支えたのが、DeNAブルペンの良好な雰囲気でした。山﨑投手が中心となって作り出すポジティブな空気は、他球団のボールボーイから「リーグで一番雰囲気が良い」と評されるほどであり、選手同士が互いに高め合う文化が根付いていたのです。

伊勢大夢 年度別投手成績（2020年～2024年）

年	チーム	登板	投球回	勝利	敗戦	セーブ	ホールド	奪三振	防御率	WHIP
2020	DeNA	33	35.0	3	1	0	4	39	1.80	1.14
2021	DeNA	39	35.1	0	1	0	6	38	2.80	1.27
2022	DeNA	71	68.0	3	3	1	39	69	1.72	1.01
2023	DeNA	58	50.1	4	6	2	33	43	3.22	1.39
2024	DeNA	37	32.1	2	3	0	18	28	3.62	1.02

この2022年の歴史的なシーズンは、彼に栄光をもたらした一方で、新たな挑戦への布石ともなりました。71試合という極めて大きな負荷は、翌年以降のキャリアを考える上で、持続可能性という課題を浮き彫りにしたのです。この成功が、皮肉にも彼自身に変化を促すきっかけの一つとなったのかもしれません。

試練の時：2023年の逆境と復活

スランプと自己分析

2022年の圧倒的なシーズンとは対照的に、2023年は伊勢選手にとって試練の年となりました。防御率は3.22まで悪化し、彼自身も「イメージと現実のギャップ」に苦しんだと語っています。生命線であるはずのストレートが本来の威力を発揮できず、痛打される場面が目立ってしまいました。この不振は、彼に深い自己分析と調整を強いることになりました。

10月1日のアクシデント：信頼が救った危機

シーズン終盤の10月1日、クライマックスシリーズ進出を争う広島東洋カープとの重要な一戦で、伊勢選手は背中の張りを訴え、わずか7球で緊急降板するというアクシデントに見舞われます。この場面において、彼のキャリアを救ったのがバッテリーを組む捕手・戸柱恭孝選手の鋭い観察眼でした。戸柱選手は試合前のウォームアップから伊勢選手の異変を感じ取り、マウンド上での数球でその確信を深めたといいます。そして、ゲームの続行よりも選手の将来を優先し、首脳陣に降板を促すという難しい決断を下しました。

この出来事は、投手と捕手の間に存在する言葉を超えたコミュニケーションと、深い信頼関係を物語っています。伊勢選手自身、降板には悔しさを滲ませながらも、後に戸柱選手の判断に感謝の意を示しました。この一件は、リリーフ投手という過酷な役割がもたらす肉体的な限界と、それを支えるチームの絆を象徴する出来事だったと言えるでしょう。この強制的な休止が、彼に自身の身体とキャリアの持続可能性について、より深く考える時間を与えたことは想像に難くありません。

ポストシーズンでの雪辱

レギュラーシーズンでの苦闘と怪我のアクシデントにもかかわらず、伊勢選手はポストシーズンで真価を発揮しました。クライマックスシリーズと日本シリーズを合わせて9試合に登板し、無失点という完璧な投球を披露。チームの26年ぶりとなる日本一に大きく貢献し、自身のメンタルの強さと大舞台での勝負強さを改めて証明したのです。この復活劇は、彼のキャリアにおける逆境からの回復力を示す、力強い証となりました。

新たな挑戦と、リリーバーとしての現在地

決意と挑戦：先発転向への意志

2024年シーズン終了後、伊勢選手は球団に先発投手への転向を正式に申し入れました。これは、リリーフとしての地位を確立したトップ投手による、極めて異例かつ野心的な決断でした。会見で彼は「投手としての評価を高めたい」「マンネリ化していた」状況を打破し、新たな挑戦を通じて「新鮮な感覚」を求めたと語っています。

この言葉の裏には、2022年、2023年シーズンの過酷な経験があったことは間違いないでしょう。リリーバーとしてのキャリアの持続可能性を考えた末、より長いスパンでチームに貢献できる先発という役割に、新たな活路を見出そうとしたのかもしれません。オフシーズンには、先発仕様の体づくりや、投球の幅を広げるための準備を着実に進めていました。

チーム方針とリリーバーとしての揺るぎない価値

先発転向を目指し、準備を進めていた伊勢選手ですが、2025年シーズン開幕前、チームは彼を再びリリーフとして起用するという方針を固めました。これは、彼の挑戦が評価されなかったということでは決してありません。むしろ、チームのブルペンにとって、伊勢大夢という投手がどれほど不可欠で、替えの効かない存在であるかを、球団が改めて示した決断と言えるでしょう。

近年、強力なリリーフ陣の整備を課題とするベイスターズにとって、2022年に歴史的なシーズンを送り、ポストシーズンでも抜群の勝負強さを見せた伊勢投手を、ブルペンから外すことはできなかったのです。確立された地位を捨ててでも新たな挑戦を選ぼうとした彼の向上心と、その彼をチームに不可欠な戦力として慰留した球団の評価。この両方が、彼の現在の価値を物語っています。

未来への展望

先発投手・伊勢大夢の物語は、未来の楽しみとして一旦預けることになりました。しかし、彼の挑戦が終わったわけではありません。2025年シーズン、彼の目標は、再びリリーフのマウンドで最高の輝きを放ち、チームを勝利に導くことです。先発挑戦で得た新たな視点や経験は、リリーフとしての彼の投球に、さらなる深みと幅をもたらしてくれるに違いありません。

おわりに：進化を続ける伊勢大夢の伝説

伊勢大夢選手のキャリアは、単なる「リリーフ」や「先発」といった枠組みでは捉えきれません。彼は、絶え間ない自己改善への意欲と、自らの投球術に対する深い理解を持つ、現代的な知性派投手です。

無名のドラフト候補から、ブルペンの「大明神」へ。そして、一度は先発という新たな高みを目指した彼の歩みは、DeNAが常勝軍団へと進化していく過程そのものを体現しているかのようです。彼は単にチームの一員であるだけでなく、その闘争心と未来志向の哲学を象徴する存在となっています。

リリーフ投手としての彼の功績は、既に揺るぎないものです。先発投手への挑戦という物語は少し未来の楽しみになりましたが、ブルペンで相手の強力打線をねじ伏せ、チームに勝利をもたらすという、彼の最も刺激的な物語は、今シーズンも続いていきます。伊勢大夢という投手の進化から、これからも目が離せません。